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富山県南砺市、旧平村のお祭りの写真。イベント、特産品、旅館の予約。


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五箇山相倉集落や春祭りの獅子舞の写真と紹介、富山県平村

富山県旧平村(南砺市)の観光とお祭りの写真、特産品と旅館の予約

五箇山 。 平村は世界遺産、五箇山相倉合掌集落で有名です。 合掌造り家屋は屋根の傾斜が60度、建築には釘やカスガイなどは使わず、 丸太を縄で結び止めています。
加賀藩から奨励された和紙づくりは現在も受け継がれてます。
2004年11月1日、 福野町 城端町 、 平村 、 上平村 利賀村 井波町 井口村 福光町 が合併し南砺市が誕生。

秋の風景写真雪の相倉合掌集落、 合掌の里、和紙、そば

上梨白山宮の神事舞上梨白山宮の獅子舞下出地区の獅子舞
祖山地区の獅子舞

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五箇山麦屋まつり
平地域下梨地区の地主神社境内で「五箇山麦屋まつり」が開催されます。
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五箇山和紙まつり

大崩島獅子舞若連中の動画ムービー1
入谷獅子舞保存会の動画ムービー1
相倉獅子舞保存会の動画ムービー
下出獅子舞保存会の動画ムービー1
祖山獅子方若連中の動画ムービー1
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民宿 五ョ門
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与茂四郎
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三笑楽 純米 720ml
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三笑楽は山深い五箇山、平村でされているお酒。 豊かな清水と山の冷気、蔵に生き続ける菌、鍛えられた杜氏の技と舌がひとつになって生まれる 山廃仕込みの銘酒。


越中五箇山相倉集落

五箇山の地名の由来
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、 これが転じて「五箇山」の地名となった。
この名称が、文献に出てくるのは約500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が最初である。 これ以前には、荘園時代に坂本保、坂南保、坂上保、坂下保、坂北保の5つの領に区別し「五箇荘」とも呼んだ。 この五箇と呼ばれる地名は全国に約120ヶ所程度あると言われ、 中国の故事より「五を一括り」を由縁とするらしい。日本で「五穀豊穣」や「五人組」「伍長」との語句などである。
平家の落人伝説が「五箇」が多いとの所以は、「五箇」が山間地に多いことや落人が山間に逃げることから 源平合戦の近隣の地域に伝説が多い。


歴史
平家の落人が住み着いたと伝えられている。 1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った (倶利伽羅峠の戦い)。 この時、義仲は火牛の戦法で平家に大勝した。 その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。 物的証拠はないが、一部の五箇山の民家の家紋として残っているとされている。

また、南北朝内乱期に、吉野朝遺臣によって地域文化が形成されたとも伝えられており、 『五箇山誌』(1958年)には「五箇山の文化は吉野朝武士の入籠によって開拓され、 五箇山の有史は吉野朝からである。現在の五箇山住民は、多分この時代からの落人の末葉である。 養蚕・和紙製紙は吉野朝遺臣によって始められ、五箇山へ仏教が入って来たのは後醍醐天皇第八皇子、 天台座主宗良親王によってである。」という説もある。

白山信仰による天台宗系密教の地域であったが、 1471年(文明3年)浄土真宗本願寺八世蓮如が現在の福井県吉崎に下向し、 北陸一体が一向宗の勢力となりこの地域も浄土真宗に改宗したようである。 北陸一帯の地名には「経塚」なる地名が残っているが、この地域にも天台宗系のお経を埋めた地を、こう呼んでいる。

江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流された。 流刑地である五箇山には当地を流れる庄川に橋を掛けることが許されず、 住民はブドウのつるで作った大綱を張り、籠をそれに取り付けて「籠渡し」として行き来した (現在でも残っており、人の代わりに人形が川を越える)。


塩硝
戦国時代から江戸時代には、塩硝(煙硝)製造の歴史がある。 石山合戦(1570年(元亀元年) - 1580年(天正8年))の織田勢との戦いにも五箇山の塩硝が使われた。 また、黒色火薬自体を製造していたとされる。
日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製造されていたが、 五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)と、 蚕の糞などで製造する「培養法」を使って、より多くの塩硝を製造した。 16世紀後半には、前田家が加賀一帯を統治し、一向一揆が沈静化したころより、 加賀藩に召し上げとして買い付けられる。 加賀藩は、外様大名として100万石の経済力をもち徳川家の2分の1の石高を持っていたので、 取り潰しの危機にあったが、 裏では五箇山での火薬の原料を調達していたのである。
しかし、この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米のチリからの硝石(チリ硝石)の輸入によって廃れてしまう。


地域の特色
この地域は世界的にみても有数の豪雪地帯であり、 そのような風土から傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれた。 現在も南砺市(旧平村)の相倉地区や同市(旧上平村)の菅沼地区には合掌造りの集落が残っており、 それぞれ1970年12月4日、「越中五箇山相倉集落」「越中五箇山菅沼集落」として国の史跡に指定され、 1994年には重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

また、隣接している岐阜県大野郡白川村の白川郷(荻町地区)とともに 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として1995年12月世界遺産に登録されている。 また2009年(平成21年)3月には、フランスミシュラン社発行の旅行ガイド日本編 「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にて最高峰の3つ星観光地に選ばれた。 日本国内では17ヶ所が3つ星に選ばれている。また相倉集落・菅沼集落も2つ星に選ばれている。

「五箇山は民謡の宝庫」と言われ、発祥や伝播の経緯が定かでないものが数多く存在する。
口頭で伝承され発展してきた文化遺産であり、麦屋踊は、 国の助成の措置を講ずべき無形文化財に選定された経過にある。 代表的な「こきりこ節」や「麦屋節」は、1973年(昭和48年)11月5日には「五箇山の歌と踊」の中の一曲として、 国の選択無形民俗文化財に選択されており、唄い踊り続けることによって守られている。
現在伝承されている五箇山民謡 こきりこ(こっきりこ)節・麦屋節・長麦屋節・早麦屋節・ 小谷麦屋節・古代神・小代神・四つ竹節・といちんさ節・お小夜節・ なげ節・五箇山追分節・神楽舞・古大臣・しょっしょ節・草島節・輪島節など

また、隣接している岐阜県大野郡白川村の白川郷(荻町地区)とともに 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている。
なお、民謡『こきりこ節』の地としても知られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




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